10年前の今日を振り返る

おはようございます。

いつもご来場ありがとうございます。

毎年この時期になってきますと、連日ワイドショーなどでも引っ張りだこな、3.11東日本大震災の話題。

「もう聞き飽きたよ」という方もいるかもしれませんが、

福島出身の私が書かないわけにもいかないと、書くことにしました。

地震発生時、リョタウはこんな場所にいた。

私は地震発生時、

塀の中にいました

前科があるわけではございませんよw

刑務所内の工事に立ち会う警備員として、毎日通っていました。

揺れが収まった直後、作業員の方が「たぶん震度4くらいでしょ?ははは」と笑って

今の揺れでそんなわけねーだろと思ったことをいまだ鮮明に覚えております。

そして、急遽工事は中断し解散。

帰宅に何時間もかかった。

直後は電話も繋がらなかったため、一応安否報告のため会社の本部に向かいました。

本来であれば、刑務所の工事終了後に駅前の大型スーパーで夜勤の予定でしたが、「行かなくてもいいよね?」という確認もついでにして帰宅。

信号は止まり、道路に散乱する瓦礫や帰宅を急ぐ人達で大渋滞。

工事が早めに終わり、15時30分くらいには解散になったはずなのに、18時の時点でまだ駅周辺から抜け出せず。

そのあたりでメールができるようになった。家族は皆無事でした。

結局、自宅にたどり着いたのは20時くらいでした。

その後の対応

しばらくは電気と水なし生活でした。(水道は早めに復旧してくれた)

この当時はまだ現在の職場に入っておらず、交通誘導メインだったため結構忙しくいろんな現場に行ってました。

食事はコンビニでやっと見つけたパンやお菓子などで済ませ、

トイレに流す用の水を近所の川から汲み上げたり

開店するガソリンスタンドの情報が入れば、夜明け前から並んだりしました。

同じようにして過ごした方も多いのではないでしょうか?

10年という月日

震災直後は、次何かあった時のため、水や食料を保存しておいたり、防災グッズをわかりやすい場所に用意したりしていましたが、10年という長い月日の中でそんな気持ちも薄れつつあったのが実際のところ。

先月起きた大地震も東日本大震災の余震ということなので、もう一度気を引き締め直していかなければなりません。

それで今後災害が起きた時に対処できれば、震災や津波の被害で亡くなられた方への供養にもなると思うのです。

私は家族・親戚・友人を亡くすことはありませんでした。

本当に幸運なことです。

東日本大震災で亡くなってしまった方、大きな被害を受けた方々に向けて

本日14時46分、祈りを捧げます。

それではまた明日。

体重87.1kg(±0kg)

体脂肪32.4%(+0.3%)

押してもらえると頑張れます。

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