ブオン ジョルノ(イタリア語)。オムライスの上手な包み方を教えて欲しい。リョタウです。
今回は「悪魔とのおしゃべり」から引用させてもらって、書きたいと思います。
前々回にも書きましたが、この本に出てくる悪魔がいうことは、一見屁理屈に見えてしまうんですが、読み進めていくうちにどんどん納得させられるような、洗脳されていくような感覚に陥ります。
それもこの悪魔がいう「正しさを疑え」の言葉により・・・
罪悪感を感じるのは「正しい教え」のせい
私たちが「罪悪感」を感じるのはどんな時でしょうか?
誰かに嘘をついた時?
後ろめたい事をしてしまった時?
喧嘩して手を出してしまった時?
それぞれ誰しもあると思います。
でも、なぜ罪悪感を感じるのでしょうか?
それは
それが正しいと教わってきたからです。
「嘘はついちゃいけないよ」
「悪いことしちゃいけないよ」
「暴力はダメだよ」
誰しも子供の頃を振り返れば一度は聞いたことがあるでしょうし、言ったこともたくさんあると思います。(中にはその辺のタガが外れちゃっている人もいますが)
例えば、カメレオンは体の色を保護色に変えて、気づかず近寄ってきた虫を「騙して」捕食したりするじゃないですか?罪悪感も感じずに毎日毎日騙し続けてるじゃないですか?罪悪感も感じずに。
だって誰にも教わってないもんねw
だからと言って「嘘をつきまくれ」「犯罪しても良い」と言う意味ではないですよw
「苦しみ」も「正しさ」の副作用
上の項目で挙げたものの他に、私たちが抱える「苦しみ」も「正しい教え」の副作用です。
それはコンプレックスです。
例えば私なら「太っていること」を最初にあげますが、私が苦しいダイエットをするのは痩せている体型が「正しい」と思っているからなのです。
私が勝手に「痩せている体型が正しい」と思い込んでるだけで、そんな私を受け入れてくれるパートナーがいればそんなことはどうでも良いんです。
ただそんなパートナーが見つかってないだけですw
こんな風に我々はいろんな「正しさ」を抱え込んでいます。
抱え込む「正しさ」の数が多ければ多いほど、我々の行動を小さくするので、その分、未来の可能性まで奪ってしまっているのです。
奇跡を「起こさない」ために正しさを教え込まれた?
[空は飛ばない方が正しい] [急に金持ちにならない方が正しい] [苦労して生きる方が正しい] [魔法のような日々じゃない方が正しい]※全て原文まま
先人たちが上の四つのような「正しさ」を疑ってくれたおかげで、飛行機ができ、宝くじ等で一夜にしてお金持ちになることも夢じゃなくなり、ネットビジネスで不労所得を得て、苦労しなくても生きれる世の中になっています。
魔法のような日々もいつか訪れるような気がしてきます。(どうして実現して良いかは思い付かないけどw)
だから奇跡を起こしたいなら、夢のような生活を送りたいなら「悪」になれ。「悪」とは「正しさ」を疑うことなのだから。
もう一度言います。「悪」になれとは、「悪い事をしろ」と言う意味ではないので、ご了承ください。
それでは今日はこの辺で、さようなら!
体重84.3kg(±0kg)
体脂肪32.3%(-0.1%)
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